こんにちは、橋本絢子です。
仕事に直結するプロライター養成塾の取材実践コースで、受講生の鈴木寛子さんに私をインタビューしていただきました。
とても素敵にご紹介いただいたので、インタビュー記事を掲載させていただきます。
「今の仕事に不満ないけど、これが本当に自分のしたいことだろうか」「やってみたいことはあるけど、失敗するのが怖い」そのようにモヤモヤと考えて、変わるための勇気を持てない人が、現代の日本には多いのではないだろうか。女性の貧困が社会問題のひとつとして取り上げられることも少なくないこの時代、漠然とした不安に悩まされている人も少なくないだろう。
株式会社ジュビリーの代表・橋本絢子さんはプロのライターの養成や個別コンサルティングを行いながら女性の経済的自立を支援している。バイタリティあふれる彼女に、勇気を出して一歩を踏み出す方法について話を聞いた。
優等生だった中学時代・高校は3ヶ月で中退・社会人同然の大学生活
教育に厳しい家庭で育ち、中学校時代の成績は常に学年トップ5入り。一見輝かしい功績は、親に怒られないための防御策だった。しかし高校入学後、医者や有名企業を目指す同級生に囲まれて過ごすうちに、勉強をする目的がわからなくなる。そもそも橋本さんは医者になりたいわけでもなければ、有名企業に入りたいわけでもなかった。同時にネットサーフィンにはまり、不登校になって入学後3ケ月で中退した。
もともと絵やデザインが好きだった橋本さん。高校を中退してからは、大検を取り、武蔵野美術大学に入学した。その大学も中退するために入ったというのだから驚きだ。
時代は就職氷河期の真っ只中。就活に苦労する先輩たちを見てデザイナーへの厳しさを感じていたところ、友人からブランドコンサルの会社を紹介されて、在学中より働き始める。
しかし、社長が複数の取引先に愛人を作っていたことが原因で契約トラブルにまで発展。私に直接的な被害はなかったものの、この会社に未来はないと思い、数ヶ月で辞めました。
その後、取引先でお世話になった人からWEBデザイナーの仕事を紹介していただき、転職。学生でしたが正社員として働いていました。デザイナーとして入社しましたが、気が付いたら営業の仕事が増えていましたね。ホームページの黎明期だったのでいくらでも仕事が取れたんです」
わずか21歳で月収は33万円。これで十分生活ができると思い、予定通り大学も中退した。
転機はキャッチコピー制作の依頼 日本語を使う仕事に将来性を感じ転職、そして起業へ
橋本さんはある日、お客さんからキャッチコピーの制作を頼まれる。とりあえず引き受けてみたものの、社内にキャッチコピーを作れる人がいなかったので、自分でいくつか作ってみることにした。
結果はすべて採用。この経験が転機になった。海外にもライバルが多いWEBデザイナーの仕事に将来性はあるのだろうか。コピーライターのように日本語を使う仕事なら、外国人に取られることもないと転職を決意。大手求人広告会社にコピーライターとして転職した。
順調にキャリアを積み重ね、制作拠点長まで登りつめた橋本さんだったが、2008年のリーマンショックで状況は一変。求人広告の受注はストップした。会社が希望退職者を募り始めたのだ。当時24歳だった橋本さんは「今の年齢で、このまま毎日会社へ通勤して何もせずボーッと過ごす日々を過ごしてはいけない」と考える。そこでずっと考えていた起業を決意。しかし橋本さんには大きな壁があった。
さらに企業後まもなく投資詐欺に遭い、借金は膨れ上がる。詐欺に遭った理由について、橋本さんはこう語る。
借金を抱えてからは死に物狂いで働いた。営業もしたし、どんな仕事も引き受けた。その甲斐もあって、借金は3年で完済させる。
行動しないのは本気でない証拠
中退、起業、借金・・・橋本さんの話を聞いているとなかなか波乱万丈な人生だ。お金がないのに起業するという思い切りの良さとバイタリティはどこから来るのだろうか。
橋本さんは失敗を恐れてなかなか足を踏み出せない人たちにこう伝えたいという。
お金については、どうにでもなる。「お金がないから」は、行動しない言い訳にはならない。本当に自分が望んでいたら、お金が有る無しに関わらず行動するからだ。
人生には「こうしないといけない」というルールは何ひとつないのだから、自分で枠を決めるのはもったいないと橋本さんは語る。