こんにちは、橋本絢子です。
本日2023年5月31日に弊社株式会社ジュビリーの14期分の決算・納税を終えて、無事に15期目を迎えました。ここまで会社を続けてこられたのは日頃お世話になっているお取引先様、お客様、受講生様、パートナーの皆様のおかげです。心より感謝いたします。
15年目に入った今、あらためて「株式会社ジュビリー」という社名にこめた思いをお伝えさせていただこうと思います。長くなりますがどうぞお付き合いください。
「ジュビリー」とは、英語で「祝宴」や「祝祭日」を意味する言葉です。旧約聖書の「レビ記」第25章ではヨベルの年として記されており、ユダヤ教で50年に1度の周期で祝賀が行われることに基づく、25または50年に1度の周期で行われる記念日・祝祭または祝年を意味します。私がこの「ジュビリー」を会社名にしようと決意したのは15歳の時、1999年のことです。
不登校・引きこもりで絶望していた時、世界がひっくり返るほどの衝撃を受ける
1999年、高校に入学した私は、それまでの受験勉強のストレスやさまざまな原因から燃え尽き症候群のようになり、ある日突然、学校へ行けなくなりました。
それから数ヶ月間、朝ベッドから起き上がれず、心療内科に通院しながら家で過ごす日々が続きます。何もすることがないので、一日中、スペースシャワーTVの音楽番組を見ていました。
その中で、ある番組のテーマソングになっていた曲が耳に残りました。それまで聴いたことのないような独特のサウンドで、新しい時代を感じさせる曲でした。
そしてついに、ずっと耳に残っていたその曲のPVを目にしたのです。そのとき私は、脳天を撃ち抜かれて世界がひっくり返るほどの衝撃を受けました。
音楽に合わせて目の前に流れていたのは、不思議なキャラクター達が2000年という未来に向かって進むアニメーション映像でした。
「これから新しい時代が始まる。他の皆と同じでなくてもいい。それぞれの個性を生かして、皆で一緒に未来へ進んでいこう」
そんなメッセージを、その曲の歌詞やメロディからも受け取りました。
一気に未来への扉が開きました。
次の瞬間、私は決意しました。
「将来、私は社長になる。10年後の25歳までに必ず目標を達成する」
そんなメッセージが降りてきたのです。
それは一瞬にして世界がひっくり返るほどの衝撃的な出来事でした。
私の世界がひっくり返った曲は、中村一義さんの「ジュビリー」という曲でした。
この曲のタイトルを自分の会社名にすると決めたのもこの時です。
紆余曲折あり、ギリギリで目標達成したものの、試練は続く
その時から中村一義さんの曲を、カセットテープが擦り切れるまで聴きまくりました。彼の哲学的な歌詞に惹かれた私は、私も言葉で誰かを勇気づける表現の仕事がしたいと、漠然と思うようになりました。
不登校になっていた高校は中退し、通信制高校に編入後、大検(今の高卒認定資格)を取得して東京の美術大学へ進学。表現の世界で生きていくことを決意します。
しかしここでまた壁に直面します。それは経済的なことでした。
大学に通うために必要な教材に、想定していた以上のお金がかかってしまったのです。
アルバイトをかけ持ちしながらなんとか工面していたものの、十分な睡眠時間を確保できずに体調を崩してしまい、再び寝たきり生活へ。単位取得も危うくなってしまいました。
地元に戻る選択肢はなかったので、将来の進路に悩みました。再び精神薬にも頼り始めました。
結果的にフリーランスとして活動しつつ、大学に籍を置いたままベンチャー企業でデザインの仕事を始め、そのまま転職して正社員になり、社会人として、そしてクリエイターとしてのキャリアをスタートしたのが20歳の頃です。
それから大手求人広告会社でのコピーライター、制作マネージャーを経て、25歳10ヶ月で「株式会社ジュビリー」を設立。15歳の時に立てた目標を無事に達成できました。
しかし直後に詐欺に遭って数百万の借金を背負うことに。私と一緒に騙された人は自ら命を絶ってしまいました。私も会社員時代から飲み続けていた多量の精神安定剤や抗うつ剤の離脱症状もあり、いろんな意味でどん底を味わいました。
その時に中村一義さんの「キャノンボール」という曲の「僕は死ぬように生きていたくはない」という歌詞を、繰り返し、繰り返し、脳内に擦り込ませながら、なんとか自分を奮い立たせて、窮地を脱することができました。
気づいたらたくさんの仲間ができていた
その後も資金繰りや薬の離脱症状、プライベートの問題、体調の問題など、数々の試練を乗り越える中で、中村一義さんの音楽にいつも勇気をいただきました。どん底から這い上がろうとするたびに、私は彼の音楽を繰り返し何度も聴いて、自分を奮起させていました。
出会ってから25年、中村一義さんの音楽は、すっかり私の人生の一部となっていました。どんな時もずっと支えてくれた、私にとっては親のような存在です。
彼の音楽に励まされてどん底を乗り越えられたおかげで、たくさんの素晴らしい仲間と出会うことができ、講座やコンサルの受講者数は500名以上。数々の法人様とのご縁にも恵まれています。
どん底の時、死を選択していたら、手に入れることのなかった未来です。
「過去がどんなに辛くても、未来に希望を持とう。自分の個性を信じて、自分の人生を生きよう」
ジュビリーという社名には、そんなメッセージをこめています。
デビュー25周年を迎えられた中村一義さんのライブへ
2023年5月26日、京都の磔磔で開催された中村一義さんのアコースティックライブツアー「いまうたう」へ行ってきました。実は初めて彼のライブへ行かせていただきました。
今までなぜ彼のライブへ行ったことがなかったのか?
資金繰りや体調、プライベートの問題など、もろもろ乗り越えて私がようやく落ち着いた今、中村一義さんがデビュー25周年を迎えられ、私が彼の音楽と出会ってからも約25年、株式会社ジュビリー設立15年、など、いろんな節目が重なるのが今年のタイミングでした。
まさに周年の祝年「ジュビリー」という名にふさわしい今年は、私にとって節目となる年です。(ちなみに私はあと数日で40代になります)
絶望の中で会社設立を決意した15歳、そしてどん底から這い上がって15年間、株式会社ジュビリーを存続させられたこと、多量摂取していた精神薬を始め、全ての薬が必要なくなり、私自身が生き続けられたこと。
それらに対する感謝の気持ちを、中村一義さんに伝えられたらという思いもあり、今のタイミングだったのだと思います。
思春期にカセットテープが擦り切れるほど聴いて、その後も心の支えとして25年間、何度も何度も聴いていた歌声を生で聴くのは感慨深いものでした。
ライブでは一曲目の第一声を聞いた瞬間、「自分におかえりなさい」と言ってもらえたようで、抑えていた感情が一気に溢れ出しました。自分の軸を真ん中にビシッと戻してもらえました。初めての生ライブ、生涯忘れることのない時間となりました。
これからも言葉で誰かを勇気づける仕事を続けていきたい。自分を信じて、自分の人生を生きる、そのための道しるべとなりたい。
そんなふうに決意を新たにできた、貴重なライブでした。
今まで中村一義さんの音楽にいただいた、たくさんの勇気を糧に、これからの15年、25年も、素晴らしい仲間たちと共に、新しいストーリーを作っていこうと思います。
長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今後とも株式会社ジュビリーおよび橋本絢子をどうぞよろしくお願いいたします。