橋本絢子 起業にいたるまでの人生ストーリー1

こんにちは、橋本絢子です。

私は20歳でフリーデザイナーとなり、その後、会社員コピーライター生活を経て、2009年に25歳で再び独立起業をして会社を設立しました。起業に至るまではどんな人生だったのか? 不登校や高校中退を経験しており、壮絶なこともたくさんありましたが、ダイジェストでお伝えいたします。ネットには書けないようなことは、リアルでお会いした方にお伝えしますが、そのうち気が向いたら書くかもしれません。

 

【全編はこちら】
橋本絢子 起業にいたるまでの人生ストーリー1 幼少時代~大学入学まで
橋本絢子 起業にいたるまでの人生ストーリー2 社会人デビューしてから
橋本絢子 起業にいたるまでの人生ストーリー3 コピーライターになってから

 

 

【1】幼少時代~大学入学まで

 幼少時代

愛媛県松山市に生を受ける。小学2年生までは引っ込み思案で大人しい性格で、クラスでも目立たない女の子でした。転機になったのは小学3年生の時。担任になったのは図工の女の先生で、写生会のときに描いた絵をえらく褒められました。「もしかして自分には絵の才能があるんじゃないか?」と思い始め、絵を描くことに没頭。図工の時間が楽しみで仕方がありませんでした。同時に勉強にも力を入れ、一時期は塾を6つほど掛け持ちしていたことも…。

中学・高校

中学時代はいわゆる「ガリ勉」でした。高校受験に向けて、ひたすらテストの勉強に打ち込む日々。3年間頑張った甲斐あって、見事、地元の進学校へ合格。しかし、そこから転落人生が始まったのでした。中学時代は成績上位をキープできていたものの、高校に上がってからはライバルが一気に増え、結果が出ない悩みに苦しむ。漠然とした将来への不安から人生の意味を考え始めるようになり、不登校になりました。学校へ行かずに繁華街や海へ行き、不良友達とつるみ、混沌とした毎日を過ごします。

美大進学を志す

高校を辞めてフラフラしていたある日、街角のギャラリーで絵を展示していた大学生のお兄さんに出会います。何を描いているかよく分からない子どものような絵なのに、独特のセンスと強烈なインパクトを受けました。心の中のもやもやを表現し、人の心を動かす姿に心を打たれた私は、やがてクリエイティブな世界に惹かれていきます。

美術予備校へ

高校を中退した後、大検を取得して美大進学を志します。美術予備校では毎日1日8時間、デッサンをする日々。とても厳しい予備校でした。クリエイティブを仕事にすることとはどういうことなのか、職業観をここで学びました。

武蔵野美術大学を受験

大好きな音楽バンド、スピッツの草野マサムネさんが通っていた武蔵野美術大学に入りたいと思っていました。滑り止めは全て落ち、もう後が無いという状態で受験3日前に帯状疱疹になってしまいました。絶望感の中で迎えた受験当日。痛みと闘いながらデッサンをし、筆記試験を受け、奇跡的に造形学部映像学科へ合格。夢の東京生活への切符を手にしたのです。

大学入学、そして挫折

晴れて迎えた大学生活。しかしそこには新しい壁が待ち受けていました。「お金が無い」「就職が決まらないかもしれない」という壁。当時は就職氷河期でした。ましてや美大の映像学科です。一般の大学生よりも就職はかなり厳しい状況でした。就職活動に苦しむ4年生の先輩を見ながら、将来、自分はどうなってしまうのだろうと思い悩みました。
大学では課題のための機材や教材費、材料費などで莫大な費用がかかります。早朝と夜のアルバイトを掛け持ちしながら稼いでも課題制作のための時間がない…。美大生活はお金がかかる、ということを考えていなかった自分は無知でした。パニック状態になっていた頃、大学の友人よりとある人を紹介されたのです。

橋本絢子 起業にいたるまでの人生ストーリー2へ続く。

 

スポンサーリンク