僕が僕であるために勝ち続けなくてもいい

こんにちは、橋本絢子です。
この1ヶ月
引きこもりながらのんびり過ごしています。

活動を減らすと
思考にスペースができて
じっくりと自分と向き合えるようになりますね。

 

ここ最近
自分自身にも、
自分を取り巻く人達にも、
変化があり
価値観や社会常識そのものが
時代ごと大きく変化しているのだな、と思います。

 

そんな中での気づきは
自分には役割がないと存在価値がないと思っていたことです。

 

よく言われますよね。

自分は存在しているだけでありのままで素晴らしいことを認めましょうとか。

アナ雪のブームが去ったあとも、いまいちピンとこなかったんです。

 

いやいや、仕事をしないと生きていけないでしょう、と。若くてきれいで可愛い女子だったら誰かに養ってもらえるかもしれないけれど、私はそうじゃないから働かねばならんでしょう、と。

今思えばその被害妄想と劣等感が面倒くさいですが^^;

で、自分は働いて稼いでいないと存在価値がない

と思い続けていたらどうなるか。

存在価値を試される出来事が起こるんですね。

 

 

頑張って頑張って事業を大きくしても
誰かに騙されて一文無しになったり。

信頼していた人に裏切られたり。

そうなったときに
嫌でも自分の真価と向き合わされます。

 

そこで気づくんですね。

罪悪感や劣等感を動機に
自分に足りないものを埋めるように
頑張り続けていても
どこかで燃料が切れることに。

これは社会的な「働く」とか「稼ぐ」役割以外にも、「母」とか「妻」「父親」という役割にも言えることです。

その役割でいなければ
自分に存在価値がない
と思っていれば

存在価値を試される出来事が起こります。

「良き母」であり続けるために
子供を「いい子」に育てようと
一生懸命、頑張っていたら
子供がグレるとか。

「良き妻」であり続けるために
お料理や家事を完璧にしていたはずなのに
旦那さんに浮気されるとか。

そういう出来事が起こったとき
自分が大切に守っていた「役割」は
幻想でしかないと、
気づかされるのかもしれません。

尾崎豊さんの名曲で
「僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない」
という歌詞がありますが

 

 

僕が僕であることも幻想であり
人間はただの生物としての個体でしかなく
体という容器の中に魂が入っているだけ
そう思えば、魂はいかようにも変容させられるわけです。

僕が僕であるために勝ち続けることよりも
一度しかないこの人生
明日死ぬかもしれないこの人生で
できるだけ長い時間
幸せを感じられることの方が大事だと
私は最近、気づきました。

 

将来がどうなるかなんて
誰にも予測できないから
今この一瞬を、ポジティブな感情で生きられることが、人生で最も大切な宝である。

 

 

そう気づけて
不必要なこだわりやしがらみを手放せたとき
人生が思い通りに循環し始めるのでしょう。

そんなことをつれづれと思ったのでした。

 

 

 

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